高野山 壇上伽藍 和歌山県 
高野山の奥の院とともに二大聖地といわれている 壇上伽藍
空海が高野山を開創したおり、まっさきに整備したところで、胎蔵曼荼羅の世界を表現している
といわれています
壇上伽藍は、右肩を金堂の仏像に向け、時計(右回り)で巡るのが正式な参拝の仕方だそうで・・・・・
回ったあとに知ったので、今回は、足の向くまま気のむくままに、参拝しました・・・
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伽藍入り口から東塔東側付近までまっすぐにのびる小道は
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龍のお腹にたとえられ、蛇腹道(じゃばらみち)と呼ばれています
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右手前 東塔(とうとう) 平安時代後期の大治2年(1127年)、白河法王の発願で創建、
天保14年(1843年)の大火で焼失、昭和59年(1984年)再建
中央 智泉廟(ちせんびょう) 
37歳で亡くなった空海の甥である智泉大徳を祀っています               
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三昧堂(さんまいどう)
延長7年(929年)高野山の座主・済高が「埋趣三昧」という儀式のために建てた御堂
現在の建物は江戸時代後期、文化13年(1816年)再建
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愛染堂(あいぜんどう)
建武元年(1334年)に、後醍醐天皇が建立させた愛染堂の御本尊は、恋愛を司る仏、愛染明王です
愛染明王は後醍醐天皇の等身大とも言われています
かつてはこの御堂で、不断愛染護摩供(ふだんあいぜんごまく)や
長日談義(ちょうじつだんぎ)が行われ、「新学堂」とも呼ばれていました
こちらの御堂も何度か火災にあったために、現在の建物は嘉永元年(1848年)に再建されました
愛染明王のご真言を唱えると
「おん まからぎゃ ばそろ しゅにしゃ ばさら さとば じゃく うん ばん こく」
愛染明王とつながれるかモウ?
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大会堂(だいえどう) 御本尊 阿弥陀如来
鳥羽法皇の皇女である五辻斎院内親王が鳥羽法皇の菩提を弔うために建立しました
蓮華乗院と称されていて、現在では、法界執行の際の集会的役割を担っています
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六角経蔵
鳥羽法皇の皇后であった美福門院が、鳥羽法皇の菩提を弔うために建立しました
美福門院が、この経蔵に紺紙金泥(きんでい)一切経を納める為に、
紀州荒川の荘園を寄進したことにより「荒川経蔵」ともいわれています
この経蔵の建物の下の部分に、とってがついていて、回すことができるようになっています
時計回りで、一回りすると一切経を読んだのと同じ功徳が得られるといわれています
美福門院が納めた紺紙金泥一切経は、重要文化財として、霊宝館に収蔵されています
現在の建物は、昭和9年(1934年)2月に再建されました
色合いがとても素敵です
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金堂(こんどう)
平安時代半ばから高野山の総本堂として、重要な役割を果たしてきた金堂は、
高野山開創当時は、講堂と呼ばれていました
現在の建物は昭和7年(1932年)に再建されました
ご本尊は、高村光雲作の薬師如来像で秘仏となっています
金堂の拝観時間午前8時~午後5時
     拝観料 200円
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西塔(さいとう)
根本大塔と二基一対として、大日如来の密教世界を具体的に
表現しようとしているといわれています
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山王院(さんのういん)
御社の拝殿として建立され、高野山の地主の神を山王として礼拝する場所の意味で
山王院と呼ばれています
このお堂で、高野山の重要行事、竪精(りっせい)論議や
御最勝講(みさいしょうこう)などや問答が行われます
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蓮池
蓮池の真ん中に、明和8年(1771年)に明和年間に度々起こった干ばつを終わらせた祠があり、
善女龍王(ぜんにょりゅうおう)と仏舎利が祀られています
善女龍王東寺にも祀られています
平成8年に祠と橋が修復されました
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