松島 天麟院 宮城県
伊達政宗の正室の娘である五郎八女(いろはひめ)の霊廟を訪れました
松島の三霊廟(陽徳院、円通院)の一つに数えられています。
五郎八女は政宗と正室の愛姫との間に結婚15年目にして生まれた子供で、
伊達家を継ぐ男児誕生を望んでいてた政宗が、五郎八という男子名しか考えていなかった
ので、そのまま五郎八女と名付けたと云われています
徳川家康の六男忠輝と結婚しましたが、忠輝が父徳川家康の攻略方法に反発を高め、
大阪夏の陣に参戦しなかったために、改易されると離縁され、五郎八女は政宗のもとに
戻り、以後仙台で暮らしたそうです
霊廟の周りはひっそりとしていました
階段が見えてきました
五郎八女の霊廟
霊廟のそばには、天麟院のハリモミの木がありました
日光以南の温暖地に見られ、宮城県内での自生は珍しいとのことです
樹齢300年以上ということだけあって、大きくて立派です!
見晴らしが良いですね
霊廟の周りには凝灰岩壁を掘削・加工した5つの洞窟がありました
案内板から・・
北から数えて第1窟は伊達政宗の三男伊達河内守宗清を供養した塔や
寛永年間の伊達一族の供養碑があります。
第2窟は、政宗の四男で岩出山領主伊達三河守宗泰の供養塔を中心に
左右に10人の殉死者の塔が並びます
その他、天麟院歴代の住職の墓があり、入口には弘安7年(1284)の板碑もあります
円通院の釣鐘がひょっこり♪見えました
ご本堂にお参りします
無料で境内に入れます♪
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伊達政宗の正室の娘である五郎八女(いろはひめ)の霊廟を訪れました
松島の三霊廟(陽徳院、円通院)の一つに数えられています。
五郎八女は政宗と正室の愛姫との間に結婚15年目にして生まれた子供で、
伊達家を継ぐ男児誕生を望んでいてた政宗が、五郎八という男子名しか考えていなかった
ので、そのまま五郎八女と名付けたと云われています
徳川家康の六男忠輝と結婚しましたが、忠輝が父徳川家康の攻略方法に反発を高め、
大阪夏の陣に参戦しなかったために、改易されると離縁され、五郎八女は政宗のもとに
戻り、以後仙台で暮らしたそうです
霊廟の周りはひっそりとしていました
階段が見えてきました
五郎八女の霊廟
霊廟のそばには、天麟院のハリモミの木がありました
日光以南の温暖地に見られ、宮城県内での自生は珍しいとのことです
樹齢300年以上ということだけあって、大きくて立派です!
見晴らしが良いですね
霊廟の周りには凝灰岩壁を掘削・加工した5つの洞窟がありました
案内板から・・
北から数えて第1窟は伊達政宗の三男伊達河内守宗清を供養した塔や
寛永年間の伊達一族の供養碑があります。
第2窟は、政宗の四男で岩出山領主伊達三河守宗泰の供養塔を中心に
左右に10人の殉死者の塔が並びます
その他、天麟院歴代の住職の墓があり、入口には弘安7年(1284)の板碑もあります
円通院の釣鐘がひょっこり♪見えました
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