椎谷藩六川陣屋跡 長野県
長野県小布施町にある町指定史跡六川陣屋跡に立ち寄りました。
六川陣屋は寛政4年(1792)から椎谷第11代藩主堀著朝の代から六川に陣屋が置かれ
明治の廃藩置県まで続きました。奥田神社のそばに復元された高札場と説明書がありました。
駐車場がなかったので入口の空いているスペースに車を停めて見学しましたよ。
駐車場がなかったので入口の空いているスペースに車を停めて見学しましたよ。
小布施町史跡 椎谷藩六川陣屋跡 現地案内板より
椎谷藩六川陣屋(慶応四年現在 新計画縄張)
高札場の側に建つ標柱の説明書。
復元された高札場。
案内板によると跡地にある神社は稲荷社とありましたが、狛狐さんがいなかったので、お稲荷
さんだと思いませんでした。石垣や用水堰もどこにあるのかよくわかりませんでしたよ。
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昭和五十四年三月三十日指定 第九号
寛政四年(一七九二)椎谷第十一代藩主著朝(江戸定府)の代から六川に陣屋が置かれ、明治の廃藩置県まで続いた。石高は一万石で、信州分五〇〇〇石の陣屋跡。藩祖は掘直之(飯山藩直寄須坂藩直重の弟)で、一族は信越領国に大名として分立していた。藩祖の父は掘直政で主家秀政の与力大名として
活躍した。
陣屋は六川通りに面し、東西三十五間、南北七十間の敷地に庁舎、御蔵、藩士長屋、明治元年に
は藩校六川修道館(のち都住小学校前身の邇言学校)が置かれていた。現在は、稲荷社(奥田神社)と
石垣、用水堰などが残っている。
支配領地
六川、中子塚、中条、清水、羽場(以上小布施町)、中山田、奥山田(以上高山村)、草間、大熊(以上中野市)、中御所、問御所(以上長野市)の十一カ村で、計四九八二石。
小布施町教育委員会
椎谷藩六川陣屋(慶応四年現在 新計画縄張)
高札場の側に建つ標柱の説明書。
復元された高札場。
案内板によると跡地にある神社は稲荷社とありましたが、狛狐さんがいなかったので、お稲荷
さんだと思いませんでした。石垣や用水堰もどこにあるのかよくわかりませんでしたよ。
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