陸中黒埼灯台 岩手県
「恋する灯台」、「日本の灯台50選」に選ばれている岩手県下閉伊郡普代村黒崎にある陸中黒埼灯台
に立ち寄りました。灯台周辺には「カリヨン」の鐘や、南部藩の砲台跡、アンモ浦展望台、北緯40度
線のモニュメントなどがあります。
紺青の海を背にして立つ白い灯台は、とても綺麗でしたよ♪♪
「恋する灯台」、「日本の灯台50選」に選ばれている岩手県下閉伊郡普代村黒崎にある陸中黒埼灯台
に立ち寄りました。灯台周辺には「カリヨン」の鐘や、南部藩の砲台跡、アンモ浦展望台、北緯40度
線のモニュメントなどがあります。
紺青の海を背にして立つ白い灯台は、とても綺麗でしたよ♪♪
国民宿舎くろさき荘の駐車場に車を停めて見学しましたよ。
観光施設案内
北緯40度シンボル塔・カリヨンの鐘・陸中黒埼灯台
北緯40度シンボル塔
黒崎御台場(砲台場)跡 現地案内板より転記
黒崎御台場(砲台場)跡
幸せの鐘という意味をもつカリヨンの鐘
鳴らして幸せをいただきました~?♪
カリヨンの鐘からの眺望
階段を降りた先に標高130mの断崖上に立つ灯台、黒埼灯台。
北緯40度線上の灯台として、日本海側の秋田県男鹿半島の北端に位置する入道埼灯台と対をなして
いるそうですよ。
灯台付近から太平洋を望む♪爽快でした!
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アンモ浦展望台は、国民宿舎くろさき荘の裏から階段を降りた先にあるそうなのですが、
本日は展望台にはいきませんでした。
観光施設案内
北緯40度シンボル塔・カリヨンの鐘・陸中黒埼灯台
北緯40度シンボル塔
黒崎御台場(砲台場)跡 現地案内板より転記
ここ黒崎は正保2年(1645年)のころは小本村に属し黒崎といい、沿岸警備の船遠見番所が南部藩に
よって設けられ、そののち元禄12年(1699年)には普代村に属し、譜代崎と称するようになった。
よって設けられ、そののち元禄12年(1699年)には普代村に属し、譜代崎と称するようになった。
のちに南部藩ではこの場所に台場(海岸の砲台場)を築き、黒崎御台場と称した。幕末の南部家文書
「御分国海辺全図」によると、領内の太平洋沿岸沿いと津軽海峡、そして内海陸奥湾側に至る広い沿
岸要所に遠見番所10ヶ所以上と砲台場33ヶ所以上を配置したとしている。この御台場には土塁をめぐらし、砲台場、火薬庫、詰め所を配置して打ち方と手伝人6名を常置させていた。
「御分国海辺全図」によると、領内の太平洋沿岸沿いと津軽海峡、そして内海陸奥湾側に至る広い沿
岸要所に遠見番所10ヶ所以上と砲台場33ヶ所以上を配置したとしている。この御台場には土塁をめぐらし、砲台場、火薬庫、詰め所を配置して打ち方と手伝人6名を常置させていた。
明治元年(1868年)の戊辰戦争では、幕軍に属していた南部藩は北航してくる官軍艦船をこの場所から狙い打ちにしていたという。(普代村史より転載)
2年3月 村制施行百周年記念事業として建立
譜代村長 岩沢義男
黒崎御台場(砲台場)跡
幸せの鐘という意味をもつカリヨンの鐘
鳴らして幸せをいただきました~?♪
カリヨンの鐘からの眺望
階段を降りた先に標高130mの断崖上に立つ灯台、黒埼灯台。
北緯40度線上の灯台として、日本海側の秋田県男鹿半島の北端に位置する入道埼灯台と対をなして
いるそうですよ。
灯台付近から太平洋を望む♪爽快でした!
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