立原諏訪神社 埼玉県  
日本百名城の一つ埼玉県大里郡寄居町にある国指定史跡鉢形城跡を見に立ち寄りました。
お城の跡を見る前にまずは、城跡に鎮座する諏訪神社をお参りしました。
訪問時は丁度氏子さんたちが、境内のお掃除をしていらっしゃいました。
氏子さんのお話しによると北海道などの遠方からも鉢形城跡を見学しに来られる方
もいらしたそうです。

地元の方たちに大事にされているお社でしたよ。
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おトイレ
ハイキングされている方たちも利用されていました。
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鉢形城 現地案内板より
鉢形城は、文明8年(1476年)に長尾景春が築いたと言われています。
背面は高い崖の下に荒川を臨み、全面には深沢川の深谷をひかえ、台地には本丸等の主要部を構え、
深沢川の対岸には帯状に外曲輪があります。天然の要害を巧に利用した城であって、このような地形は、高い山城と並んでよく城に利用されています。

いま、本丸、二の丸、三の丸、大手、搦手逸見曲輪等を区画するように土塁や掘が良く残っています。このため昭和7年国の史跡として指定を受けています。

その後、山内上杉氏の持城となり、永禄初年(1558年)になって、当地一帯を治める藤田泰邦は、小田原を本拠地として、関東一円に進出してきた後北条家の氏邦を娘婿として迎えました。
北条氏邦は入城に当たり鉢形城の大改修を行って、関東屈指の平山城となったようです。
                             寄居町・埼玉県
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諏訪神社 現地案内板より
諏訪神社は、武州日尾城主(小鹿野町)諏訪部遠江守が鉢形城の家老とななって出仕したとき、
信州にある諏訪神社を守護氏神として分祀奉斎しました。

やがて天正18年(1590年)鉢形城の落城により、この近辺から北条氏の家臣たちが落ちていき、人
々も少なくなりました。しかし城下の立原の人たちは鎮守様と崇崇敬し、館の跡を社地として今日
の神社を造営したものです。

本殿は宝暦年間、その他の建造物は天保年間に造営されていて、年に三度の大祭を中心に、
人々の心のよりところとなっています。なんどかの台風にあいましたが、空堀御手洗池に深い
面影を落している欅の大木は、400年にわたる歴史の重みを静かに語りかけているようでもあります。

祭神は建御名方命、相殿に誉田別命が祀られています。これは明治42年萩和田の八幡神社が合祀され
たものです。
                                   寄居町・埼玉県
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手水舎
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拝殿
創建は戦国時代、御祭神は建御名方命 誉田別命
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御本殿
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境内社  
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遥拝所
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境内社 大黒天
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