熱海七湯めぐり 静岡県
再整備によって復元された自噴温泉のモニュメント、熱海七湯(入浴施設ではありません)と呼ばれる
源泉をめぐってみました
同じ熱海市内にある源泉でも七湯それぞれの歴史や効能などが違って、源泉の側にたつ説明を読みながら、七湯めぐりの散策は面白かったですよ♪
車を停めたタイムズ熱海市東駐車場 から近くにありましたよ
佐治郎の湯(目の湯) 説明板より転記
目の湯のすぐそばにあった熱海銀座おさかな食堂 に路地にも順番待ちの列が出来ていたので
思わず写真を撮ってしまいました
人気店のようですよ♪
風呂の湯・水の湯 説明板より転記
清左衛門の湯
勢いよく蒸気が出ていましたよ
野中の湯 案内板より転記
蒸気が勢いよく出ていたので、案内板の横にたまごや野菜等を温めたり、調理することはご遠慮くださいの注意書が書かれていました
小沢の湯(平左衛門の湯) 説明板より転記
名水百選丹那湧水の水飲み場もありましたよ
七湯の中で唯一温泉たまごができる設備がありましたが、故障中のため使用できませんでした
ざんね~ん・・早く原因がわかるといいかモウ~
間歇泉は数分毎に噴出するようになっています
大湯間歇泉のそばに市外通話発祥の地の碑と白ぬりの六角形の電話ボックスがあります
市外通話発祥の地 熱海 解説板
復元された日本初の電話ボックス
大湯のそばには湯前神社が鎮座しています
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再整備によって復元された自噴温泉のモニュメント、熱海七湯(入浴施設ではありません)と呼ばれる
源泉をめぐってみました
同じ熱海市内にある源泉でも七湯それぞれの歴史や効能などが違って、源泉の側にたつ説明を読みながら、七湯めぐりの散策は面白かったですよ♪
このあたりを東浜といい、道もなく石のごろごろした河原で、温泉が絶えず豊富に湧き出ていて村人の入浴場でした。湯治客は大湯の源泉が主に使われ、ほかの源泉も限られた家のみが使用するお湯で、熱海村の農民や漁師や近郷の人達が自由に入浴できるのは、この「河原湯」だけでした。寛文6年[1666年]小田原城主稲葉美濃守が、村民のために浴室を設けてその屋根を瓦葺としたため、[瓦湯]と称したともいわれています。この湯は神経痛やリューマチなどに効能があり塩分が多く、人が入ると透明な湯が白く濁るほどであったといいます。
車を停めたタイムズ熱海市東駐車場 から近くにありましたよ
佐治郎の湯(目の湯) 説明板より転記
左次郎という者の邸内にあったことから「佐次郎の湯」といわれました。
また、この源泉は明治のころは上杉助七という者の邸内にあり、のち新かど旅館の
所有になったので「新かどの湯」ともいわれました。
この湯は火傷にも良いが眼病にもよく効くといわれ、別名を「目の湯」ともいいました。
現在は目に効能は無く高温のため、目を洗わないでください
現在は目に効能は無く高温のため、目を洗わないでください
目の湯のすぐそばにあった熱海銀座おさかな食堂 に路地にも順番待ちの列が出来ていたので
思わず写真を撮ってしまいました
人気店のようですよ♪
風呂の湯・水の湯 説明板より転記
「風呂の湯」は、昔の坂町高砂屋の庭から湧き出ていました。今の福島屋旅館の西側です。この湯は外傷に良いといわれ、また、湯気の上騰が盛んで饅頭を蒸したり酒を温めたりして販売していました。「風呂の湯」の傍ら1.5メートルほど東のところに塩分のない温泉が湧き出ていました。明治11年、大内青巒の熱海史誌には、淡泊無味常水を温めるもののごとし、故に「水の湯」と名付くと記されています。
清左衛門の湯
昔、農民の清左衛門という者が馬を走らせて、この湯壺に落ちて焼け死んだので、その名が付いたといいます。明治までは、昼夜常に湧き出て絶えることがありませんでした。人が大きな声で呼べば大いに湧き、小さな声で呼べば小さく湧き出たといわれています。
勢いよく蒸気が出ていましたよ
野中の湯 案内板より転記
野中山のふもとの、このあたりを野中といいます。この辺一帯は、泥の中に湯がブクブク噴いて、杖で突くと湧き出したといわれています。また、このあたりの土は丹(赤色の土)のようで、壁を塗る材料にしました。江戸時代までは、この「野中の湯」は湧き出るところが浅かったので、あまり入浴
には利用されなかったようで、そのため、湯をためる湯桝を設けなかったといわれています。
源泉所有「中銀ライフケア先見」
源泉所有「中銀ライフケア先見」
蒸気が勢いよく出ていたので、案内板の横にたまごや野菜等を温めたり、調理することはご遠慮くださいの注意書が書かれていました
小沢の湯(平左衛門の湯) 説明板より転記
沢口弥左衛門、藤井文次郎、米倉三左衛門の庭の湯を「平左衛門の湯」と称して
いました。また、土地の人は小沢にあったので「小沢の湯」とも称しました。
「清左衛門の湯」と同様、人が大きな声で呼べば大いに湧き、小さな声で呼べば
小さく湧き出たといわれています。
名水百選丹那湧水の水飲み場もありましたよ
七湯の中で唯一温泉たまごができる設備がありましたが、故障中のため使用できませんでした
ざんね~ん・・早く原因がわかるといいかモウ~
古来からの間歇泉で世界でも有名な自噴泉でありました。
「大湯」の噴出は昼夜6回で、湯と蒸気を交互に激しい勢いで噴出し、地面が揺れるようであったといいます。明治中ごろから次第に減少し末ごろには止まってしまいましたが、関東大震災のとき再び噴出しました。しかし、その後も噴出回数は減少しつづけ、昭和のはじめについに止まってしまいました。
昭和37年に人工的に噴出する間歇泉として整備され、市の文化財として保存し現在に至っています。
間歇泉は数分毎に噴出するようになっています
大湯間歇泉のそばに市外通話発祥の地の碑と白ぬりの六角形の電話ボックスがあります
市外通話発祥の地 熱海 解説板
復元された日本初の電話ボックス
昭和43年(1968)に明治百年を記念して東京の京橋に設置された日本初の電話ボックスを復元して造られました
大湯のそばには湯前神社が鎮座しています
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