白石城 宮城県  
宮城県白石市の中心部にある白石城、別名益(桝)岡城を見学しました
白石城は、関ケ原の戦いの後伊達領となり、明治維新までの260余年間、伊達氏家臣片倉小十郎の
居城となりました
平成7年に三階櫓(天守閣)と大手一ノ門、大手二ノ門が復元されました
白石城を見学するには入館料がかかります
開館時間 4月~10月 9:00-17:00 11月~3月 9:00-16:00 
休館日 12/28~12/31
白石城入館料 一般 400円 小・中・高校生 200円 未就学時 無料
立体ハイビジョン(歴史探訪ミュージアム 3階)一般 400円 小・中・高校生200円 未就学時 無料
武家屋敷 一般 200円 小・中・高校生 100円 未就学時 無料
共通券 一般800円 小・中・高校生 400円 未就学時 無料 

白石城に行く前に白石の地名の由来となった神石白石を見学しましたよ
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神石白石 
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白い石が祀られています
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神石白石  解説板より
白石の地名は、この石からおこったと古くから伝えられている。灰白色のやや軟らかい擬灰岩のこの
石は、根は深く、遠く宮城郡根白石(現在仙台市泉区)まで続いているといわれている。古代から日本人には、巨石や立石を神の依代(神様の宿るところ)として祀る習俗(なわらし)があり、この白い石もそのようなものの一つとみられる。江戸時代頃から朱塗りの玉垣をめぐらし「神石白石」として
祀られている。神石の高さ〇・四七メートル、長径一・〇五メートル、短径〇・六メートルである。
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白石市の縁結びスポットだそうです♪
神石白石の解説を読んで、千葉県香取神宮の要石と茨城県鹿島神宮の要石が地中で繋がっている
とう話を思い出しましたよ
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神石白石を見た後、白石城へ向かいます
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マンホールの蓋のデザインは桜と鐘
白石城がある益岡公園は園内に400本の桜の木があり桜の名所だそうですよ
桜の開花時期には白石城桜祭りが開催されます
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白石市内駐車場案内図
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二ノ丸大手二ノ門跡
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白石城本丸跡外郭石垣
石垣と矢穴についての説明書
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なんとなく矢穴らしきものを発見?
矢穴とは石を割る際に施行された長方形の穴をいい、石の端に見られます
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明治時代に解体され基底部のみ残っている本丸城外郭石垣
北側と南側で異なる積み方がされています
南側は野面積みで、北側は、もともとは野面積みであったものが、大雨や地震などで崩れたため
積み直され、四角い石垣が積まれています
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歴史探訪ミュージアム
1階には白石城オリジナルのお土産や名産品の販売、レストラン、2階には歴史資料館、
3階には3Dシアター(有料)があります
3Dシアターは見ないで天守閣へ
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城内にあるマンホールの蓋はカラフルで綺麗♪
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白石城(別名益(桝)岡城)の歴史 解説板より転記
天正十九年(一五九一)豊臣秀吉は、伊達氏の支配下にあったこの地方を没収し、蒲生氏郷に与えた。
蒲生氏家臣蒲生源左衙門郷成は、城下町を含む城郭、白石城を築城し城主となった。慶長三年(一五九八)上杉領となってから上杉氏家臣甘糟備後守清長は白石城の再構築を行い居城した。慶長五年(一六〇〇)関ヶ原合戦の直前、伊達政宗は白石城を攻略し、この地方は再び伊達領となり、伊達氏家臣である片倉小十郎が大改修を行い、以後明治維新まで二百六十余年間片倉氏の居城となった。白石城は標高七十六メートルの最頂部には本丸・二ノ丸・中ノ丸・西曲輪、中段には沼ノ丸・南ノ丸・巽曲輪・帯曲輪・厩曲輪を置き丘の上に館堀川を巡らし、南は空堀で斤陵を切断、館堀川を隔てた平地には三ノ丸・外曲輪を配置した平山城である。本丸は高さ九メートル余の石垣の上に土塁を囲み三階櫓そして巽櫓・坤櫓・大手門・裏三階門を備え、御成御殿・表・奥の諸建物があった。二ノ丸以下はすべて土塁で囲み、木柵をまわした崖を利用する等中世と近世城郭を併用した縄張であった。元和元年(一六一五)の一国一城令以後も仙台藩は幕府から青葉城と白石城の二城が許され、明治維新には奥羽越三十一列藩同盟がこの城で結ばれ、公議府が置かれ輪王寺宮が滞城された。その後按察府の設置、兵部省兵隊屯所になるなど、日本の歴史の変転期には一役を担う重要な城であった。
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白石城(益丘公園)案内図
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復元された三階櫓(天守閣)
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入口
本日はお茶会が催されていましたよ
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三階櫓最上階の内部
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櫓からの眺め
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大手二ノ門
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本丸御殿跡
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本丸井戸と鐘堂
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白石城鐘堂と鐘 説明書より転記
白石城鐘堂は、その脇に物日(祝いの日)に片倉家の白地黒鐘の大馬じるし、三階黒鳥毛などが立てられたと伝えられるが、発掘調査の結果等により、三階櫓(天守)東側のこの突出平場に建っていたと考えられる。もとの鐘は文正元年(一四六六)に鋳造されて、伊達郡東昌寺にあった。東昌寺は伊達家
四世政依が弘安年中(一二七八~八八)に建立した寺で現在仙台市に移っている。何時の時代にか白石城に入って、非常の際に撞き鳴らされていた。また毎年七月、城回りの土手と堀の清掃の時には、この鐘を鳴らした。朝八時に七つ撞いて仕事を始め、九時に五つ、十時に三つで終わる。侍と城下にいる足軽、その他扶持を受けている者が総出で掘払いをした。長年使用したため、ひびが入ったので、寛文元年(一六六一)、片倉三代景長が仙台の鋳物師山彌五助に命じて再鋳した。それが戊辰戦争後、明治三年(一八七〇)白石城払い下げの時、ゆかりを知って伊達郡桑折町の傳来寺で買い求め、その由来を新たに記して使用していた。太平洋戦争中、古鐘であるといって保存させたので供出をまぬがれて伝来寺境内に現存している。
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鐘堂の鐘
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復元された大手二ノ門
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