下総総社跡 千葉県 
下総国分寺跡と下総国分尼寺跡を巡ったので、市川市スポーツセンター内にある下総国府跡にも行ってみようと立ち寄りました
車を停めるのに駐車場の誘導をしているおじさんに「下総国府跡を見に来たんですけど」
というと、「本来ならスポーツセンターを利用する人が駐車できるんだけど、ちょっとの時間なら
いいよ」といわれ、車を停めることが出来ましたよ・・・
車で下総国府跡を見学に来る人いないのかモウ~?しかもスポーツセンターの入り口にも国府跡の案内板もありませんでした
おじさんにどこにあるのか聞くと球場付近にあるというので行ってみましたよ
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駐車場
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スポーツセンター内に入ると案内板がありました
下総総社跡→に従って行ってみましたよ
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それらしきものを発見・・・・・(-"-)
大きな木の下に石碑と説明書があるのみでした・・・・
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下総総社跡(六所神社跡) 案内板より転記
7世紀後半の日本は、天皇を中心とした法治国家をつくろうとしていました。そして、北海道、東北地方の一部、沖縄をのぞく各地を60余国にわけ、国ごとに整備をすすめました。下総国は現在の千葉県北部を中心に、茨城県、東京都、埼玉県の一部にあたります。その国府(役所を核とした都市)は市川市国府台にありました。国府には、政務や儀式をとりおこなう国庁があり、国庁を中心に国衙(官庁街)がひろがっていました。下総国庁は現在の野球場付近にあったといわれています。国司(国府の役人)は、国内の有力神社を管理し、参拝する義務がありました。しかし、広い国内をまわるのは大変だったので、平安時代後半になると、国庁近くに国内の神々をあわせまつった神社がたてられました。その神社を総社・六所神社といいます。また、国司がそのころよわまっていた影響力をとりもどすため、神の加護を得ようとしたともいわれています。六所神社は、明治19年に須和田に移転し、軍用地となったあとも、「六所の森」としてのこっていました。また、六所神社跡周辺の地名は「府中」と呼ばれていました。
陸上競技場の周辺を発掘した結果、神社そのものの遺構は見つかりませんでしたが、六所神社を区画していた遺構がみつかっています。また、千葉商科大学内ではこの溝とともに、参道跡もみつかっています。こうした調査結果から、初期の境内地は「府中」の範囲にあたり、国衙の北東に設置されたことがわかりました。
2004年12月   
                               市川市教育委員会
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